弁護士等情報

私の事件簿

一、 序

 私は、知能が低く、大きな事件の事務局はやれない。
 いきおい、簡単な事件で、自分なりの価値観を満足させようとする。

二、地代・家賃の値上げ

 統制令の廃止と地価の高騰は、地代・家賃の二倍近くの値上げ請求となって裁判所に押し寄せた。つい、1~2年前、原告席で、若い勤務弁護士が鑑定を申し立て、被告席で老人達が唖然として座っている光景を、よく見かけたものだ。あの人達は、どこへ、行ったのか。
 私の事務所の近くに、80軒程が加入した借地・借家人組合がある。値上げの裁判を起こされ、やって来た。生活状態を聞いてみたが、とても着手金を払える状況にない。黙って引き受けていたら、裁判事件が4件になった。役員さん達が心配して、1件あたり3万円(1件につき、数人の被告がいる)の弁護士費用を持って来られた。その気持ちがありがたい。又、某県議会議員が中心になっている借地・借家人組合がある。ここでも、家賃の値上げ訴訟を起こされ、私の所へやって来た。被告らは、みな老人達だ。国民年金暮らしであり、食費を切りつめている。朝日新聞の記者が取材に来たので、紹介したら記事にした。それを書証にして、極貧状況を立証したりした。これも無料でやっている。
 地代・家賃問題は、政治問題だ。しかし、困り切ってやって来たのに、まともな着手金を払えないからと言って、追い返すわけにもいかない。ここがつらいところだ。

三、労災認定訴訟

 高血圧の症状がある63才のタクシー運転者が、運転中、脳内出血で死亡した。遺族(妻)が、監督署に申し立てたら、却下された。私が受任し、県の審査官や東京の保険審査会へ申し立てたが、いずれも却下された。遺族は、子供からの仕送りを含めて、月7万円ほどの収入で、2万円の家賃を払って生活している。この事件も無料でやっている。東京へ行く時も、遺族は一緒に行こうとしない。自分の交通費は勿論、私の交通費も出せないからだ。
 遺族を通じて、労働組合に協力を求めたが、三役会議を開いて、協力をことわってきた。60才を過ぎてもタクシー乗務員として働きたいが、このケースに労災が認められれば、タクシー会社は、年配の労働者を雇わなくなるかも知れないことを拒否の理由とする。
 保険審査会でも、はねられた時、遺族は疲れてしまい、裁判はやらないと言い張る。
 ありがたいことに、出訴期間が3ヶ月もある。何度も、遺族(60すぎの妻)を呼んで説得した。「なあ、おばさん。40年たったら、俺もおばさんも死んでいる。死ぬ時に、あれをしとけばよかったと後悔しないようにしようや。負けてもともとだ。印紙代は、俺が出す。勝てば、ガッポリ弁護士費用をふんだくるから心配するな。」遺族は、「先生は笑わせてくれます。」と言って、出訴期間ギリギリに、委任状に署名、押印した。ひっそりと、訴状を郵送したら、神戸、毎日の各新聞が記事にした。毎日の記者は私がたよりないのに驚いたのだろう。「神戸の藤原さん達のグループに是非入りなさい。」と勧告し、2~3日すると、「毎日から聞いた。神戸の若手も参加すると言っています。」と東播中央の渡部弁護士が連絡をくれた。遺族に電話して「おばさん、喜べ。神戸の若手の弁護士が、手伝うと言ってくれたぞ。」と伝えると、電話台の向こうで、泣いておられた。

四、サラ金

 20才の女性と19才の男性が結婚した。10ヶ月おきに、子供が三人も生まれ、第一子は病弱でもあり、夫の給料月18万円では、生活できず、サラ金から借金して、破綻した。電気も止められたりしている。年若い夫は蒸発し、残された妻が自殺するのを心配した近所の奥さんが、妻を連れてやって来た。ところが、夫がひょっこり、帰って来てしまい、生活保護を受けられなくなった。夫は、みるからに頼りない。
 まず、妻の自己破産を申し立てることにした。無料でやることとし、破産の予納金等も私が出し、打ち合わせに来るたびに4000円を交通費や食事代として渡した。事務員さん達は、私のやり方に批判的である。「甘やかすのが能ではない。」と言う。私も、そう思うが、しかし、受任しなければ、金融屋に追い立てられるだけだ。伊丹の裁判所で自己破産の審尋があり、廊下へ出て、私は、その娘にどなった。「二度と、サラ金から金を借りるな。生活していけないなら、養女に出せ。俺は育てんぞ。」娘はワーッと泣き出し、神戸の弁護士さん達や、当事者達が、腰を浮かせて、私の方をうかがう。中には、立ち上がって、こちらへ近づいてくる気配を見せる50すぎの女性もいる。
 帰って「今日は、参った。かくかくしかじか。」と事務員さん達に報告すると、「みんな、先生の子供と思ったんですよ」と言う。そうであったか。しかし、あの場合「俺の子じゃない」と大声を出したら、益々、変だったのではないか。

五、住民監査請求

 尼崎市は、公営ギャンブル(モーターボート)を経営しており、そのテラ銭で、財政は豊かである。暴力団を追い払って貰うために、市は警備にあたる尼崎西警察署を歓待して来た。西署の警備課長は、増長し、市に高級料亭等での接待を数多く強要し、渋られると、警備出勤をずらしたりして嫌がらせを行う。トップの署長は、公舎にクーラーをつけてくれとねだり、ねだられた市職員は困ってしまい、架空名目の予算をつけて、それに応じた。世に尼崎競艇疑惑という。NHKの報道をきっかけに、1年程、マスコミが騒いだ。
 私は、尼崎市民なので、個人としてでも住民監査請求を起こそうと原稿を書いていたところ、30人程の市民グループがやって来て、自分らもやりたいと言う。そこで、私は、書面作成の裏方にまわった。監査請求を起こすと、市の幹部は飲み食いの金を返還し、県や元署長は、クーラーの代金等を弁済する始末だ。訴訟物をなくされてしまった。
 最後の手段で市職員と元署長を告発したら、不起訴となった。そこで、元署長につき、検察審査会に申し立てている。今年3月の新聞やテレビに出ていたので記憶している方もあるいはいるかも知れない。
 私が変に法律家的発想におちいって、消極意見を吐く時に、市民の中心人物達が、警察の恫喝的体質等、ことの本質をとらえ、そこから、正しい方針を打ち立てて行ったことには、つくづく感心したし、嬉しかったし、学ぶことが多かった。
 中心人物に仮名の脅迫状が送られて来たが、彼は、軽視するでもなく、重視するわけでもなく、謙虚にしてかつ豪胆である。私なら、ビビってしまっただろう。
 市民グループは、今後、市政監視グループとして存続することになる。
 この運動に参加して、私は、大変、勉強になったし、闘うことの大切さと面白さを教えられた。

六、終わりに

 43号線の高橋敬や深草、解同問題の山内、尼公害の小貫君その他名前は一々挙げないが諸君の払った労力・自己犠牲に比べると、私の努力は、その足元にも及ばない。それは、十分承知している。
 しかし、この尼崎で、自分なりにやれることはやり、尼崎の土と化する所存である。

(平成2年4月記)