弁護士等情報

 敗戦から数年、国民の生活は窮乏していた。娯楽も乏しかった。
 肺病病みの教員の父の俸給だけに依存する私ども家族の生活には、厳しいものがあった(加えて、当時、肺病すなわち肺結核は死病として忌み嫌われていた。)。
 その頃、父は兄と詩を合作していた。
 まず、父が始めの一節をひねり出す。それを受けて、兄が続きの一節を創りあげる。ふむなどと言い、父はその続きをさらに、創りだす。得たりと兄が更に別の一節を続ける。たちまちに、詩は完成する。
 日曜日の朝の光を浴びて、兄はできあがったばかりの詩を、朗々と読み上げる。
 母と私は、微笑んでそれを聴いていた。
 父母は若く、兄は10歳、私は7歳だった。

 父も死んだ。
 母も死んだ。
 あの黄金の日々は、もう ない。

 残っているのは、吹き抜けていく風、ばかり。

(平成18年3月記)