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面白い本はないか?

一 序

 人生は、疲れる。毎日が緊張を強いられる。そして退屈だ。
 しばらくの間でよいから、脳細胞を麻痺させてくれる「阿片」のような本はないか?誰か紹介して欲しい。
 しかし、順序として、私から始めよう。
 以下、A、B、Cは面白さのランク。

1.「人間最後の言葉」

 C・アヴリーヌ編 ちくま文庫 Cランク

 たとえば

① フォカス(610)東ローマ皇帝。彼を捕えて、その治世の暴を責めたアフリカ総督ヘラクリウスに向かって、
「しかし、おまえの治世になったら良くなるだろうか」

② アントワーヌ・グラモン公(1604-1678)フランスの元帥。
 懺悔聴聞僧が信仰の基礎的な教義を並べたてたとき、妻に向かってたずねた。「おい、あれは本当かね?」
 かれの妻が本当ですと答えるのを聞いて、かれは声を張り上げた。「そうか、それなら、急いで信じようではないか」

③ フォンテーヌ・コルテル夫人(1730)
「わたしのなぐさめは、いまこのとき、きっとどこかで、恋人たちが愛し合っているということです。」

④ オリヴァー・ゴールドスミス(1728-1774)イギリスの作家
医者に気持ちは落ちついてるかどうかと聴かれて答えた。「いや、少しも」

⑤ レオニダス一世(前480)スパルタ王
テルモピュライで300人のスパルタ人と共に戦死した。そのとき、かれらに粗末な食事を与えて言った。「今夜は、ハイデス(冥府の王)の家で夕飯を食べよう」

2.「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」

 稲垣足穂著 筑摩書房 Cランク

 少年武士の屋敷に山ン本五郎左衛門という妖怪が居ついて、色々、悪さをする。噂は広がり、夜になると肝試しをかねて、多くの武士が夜伽にやってくる。変事が起こると、皆逃げ帰る。少年武士はへこたれることなく、ひとりで戦う。山ン本は、30日目に姿を現し――40年配の人品いやしからざる妖怪である――「さても御身は気丈なるよ。……余は、御身が恐れざる故、思わず長逗留、かえって当方の業の妨げとなれり。」といって、土産に手槌をおいて去る。

 この短編は、4~5回読み返した。どこが面白いのか分析できないが、面白かった。「勇気とは、恐怖神経の脱落であり、性格異常の一発現形態である。」と私は思っている。

 この短編を読むと、それがよく理解されるし、私の見聞に照らしても、そう言える。

 私は、垣添誠雄弁護士と十数年同じ事務所にいた。彼は、極道が相手だと、やたら張り切る。「お前んとこの手形なぞ、鼻紙にもなるかい」と怒鳴って、電話を切ったり、大男が三人来て、机をへだてて向かいあった時には、「お前んとこの親分を殺してきて、その首をここへ置け、話はそれからじゃあ。」と言う。

 しかし、担当の女性事務員さんに何か叱られたのであろう、彼が涙を溜め、肩を落として、事務所を小走りに立ち去る姿を何度も見た。事務員さんが機嫌を直すと、彼も元気を取り戻す。

 彼の症例は、勇気とは、神経細胞の単なる分布の乱れであることを、示している。

 彼は、堀江事件で、組長相手に、やにわに、一人で裁判を起こした。県警が慌てて警護に入り、弁護士会も支援体制をとったが、それは、あとのことである。彼の行為は歴史に残るであろう。

 この事件をきっかけに、彼はほかの人間にはなくて、自分には生来備わっている或るものを発見した。無法者への戦の志向である。

 これを武器に彼は尼崎の田舎から、全国へ出て行った。初めは、おずおずと、次には、厚かましくである。そして、本能の導くままに、額に自分と同じ星印が刻印された人々を探し始めた。同志の糾合である。やがて、イタリーへ飛び、その半年後にマフィアに爆殺されるなんとかという判事との面会を果たす。世界の同類項に無意識に吸引されたのである。

 こうして、彼は生まれ変わった(『野生に還った』というべきである)。近所の鼻つまみの悪童の額に、神はひそかにダイヤモンドを埋め込んでいたのである。

 「もはや、われ生くるにあらず。キリストわれにて生くるなり」とは、新約聖書の言葉である。古来、自己がなにものであるかに目覚めた人々に共通するのは、自己が宇宙の一部でしかなかったという意識である。自分は自分であって自分でない、何か大きなものにとらえられて、そこから遁れることができないという、呪縛意識である。殉教者、異端審問官、テロリストに共通するのがそれである。なんとか判事と垣添弁護士を繋ぐものも、実は、それであった。しかし、いまだ、即自的存在にしかすぎない垣添弁護士は、それが自覚できていない。彼が、その意識を定立するには、なお数年を要しよう(生きていればの話であるが)。

 それでも、彼が時折「ん?」という表情で、視線を中空に泳がせるのは、何か大きなものが彼の身を浸し始めている徴候である。鶏も卵を産み落とす前には、「ん?」という顔付きをするではないか。

 さて、彼は、3~4年前に、日弁連の民暴委員会の副委員長になり、それが、よほど性にあっていたのか、今でも月20日位は、事務所をあけて、福岡、広島、静岡などの民暴用務や、県警や商工会議所への講演に出かけている。今年の夏には、団長で、ニューヨークとかワシントンとかに出かけて行っていた。

 彼の名声が上がったのか下がったのか判然としないが、有名にはなった。それに反比例して、彼の事務所の経営は、急降下している。ここ数年赤字続きではないだろうか。民暴委員会は、貧乏委員会だ。彼の道楽はヤクザ世界の変革である(彼の関心はそこにしかない。公害事件、労働事件への関心は、とうの昔になくしてしまった。人類の進歩や国政の改革などは、そこにヤクザやギャングが入り込んでこない限り、彼とは無縁である)。そして、彼は道楽があまりに、過ぎている。しかし、道楽で身を滅ぼすことこそ、男子の本懐ではないか。

 彼の話を聞くと、国連、マフィア、警察庁と、大きな話ばかりだ。聞く順番から忘れていくが、面白いし、それに、友人の活躍話を聞くのは、楽しく、心騒ぐ思いがする。

 自分の話が終わると、私にも話題を向けないと悪いと思い始めるらしい。私を励まし始める。「上原君、アンタ、こんな片田舎で、このまま、啼かず、跳ばずで、一生終わるつもりか?うだつのあがらない田舎弁護士じゃないか。アンタのことなんか、誰が知っている?誰が相手にしてくれる?世の中は広いよ、ウン、世界を変革しようじゃないか。どうだ?」彼の指摘は正しい。しかし、そこまでリアルに表現しなくてもいいだろう。

 彼が善意であるだけに、私の惨めさは、一層つのる。

 思わぬ長話になった。

 本題に戻ろう。

3.「帝王」

 フレデリック・フォーサイス著 角川文庫 Bランク

 かなり、有名な短編だ。田舎の兄はさほど評価しないが、私は好きだ。

 帝王とは、モーリシャス島の島民が、ある巨大カジキに畏怖をこめてつけた名前だ。島に、銀行の支店長が、太った無神経な妻と、特別休暇でやってくる。「彼は、五十歳になった自分の醜く太った背の低い身体が、われながら哀れでならなかった」。

 彼は、ガイドのキリアンとゲーム・フィッシングに出かける。そして、帝王に遭遇する。八時間の格闘の後、彼は無残な姿に変り果てながらも、帝王をとりこむ。しかし、誰しも、意外に思ったことに、彼は帝王を逃がしてやる。
船は港に向かう。

 (マーガトロイドは、のろのろと桟橋を進んだ。村人たちは、めいめいお辞儀をしては「サリューメートル」と声をかけた。彼らは、口々に静かな声で言った。「サリュー、サリュー、サリュー、メートル」

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 「みんな、なんて言ってるんだね?」

 とマーガトロイドは、小声でたずねた。

 「あなたを讃えているんですよ。漁の名人だといって」

 「帝王のせいかな?」

 「このへんじゃ伝説的な存在ですからね」

 「わたしが、その帝王をとらえたから、みんなあんなに?」

 キリアンは、ふっと小さく笑った。

 「いいえ、逃がしてやったからですよ。」)

 病院で手当てを受けている間、彼は、銀行をやめ、女房を捨て、漁師になる決心をする。

 そして、ホテルに戻る。「休暇を楽しみに来ている滞在客たちは、一目彼を見ようと一群になって、角を曲がり、ホールに進んだが、彼らは途中でハッと立ち止まった。マーガトロイドは、無残に変わり果てた姿になっていた。」

 そして、色々あって、

 (「銀行なんかクソくらえだ」と、彼は、しばらくして口を開いた。「・・・・・・。それから、マダム、あんたもクソくらえだよ」

 そう言うなり、彼は、くるりと向き直り、最後の階段を昇っていった。ヤジ馬の間から歓声が湧き起こった。)

4.「殺し屋」

 ヘミングウェイ著(図書館にある) Aランク

 八ページの短編。傑作。田舎の兄も同意見。

 二人の殺し屋が食堂に元ボクサーをばらしにくる。ボクサーはその日、食事に来ない。

 給仕のニックがボクサーに知らせに行く。

 (ニックは、ドアをあけて部屋にはいった。

 オール・アンダルソンは、きちんと服を来たまま、ベッドに横になっていた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 「どんな連中だったかっていうと――」

 「どんな連中か、俺は知りたくねぇよ」オール・アンドルソンは言った。壁に目を向けたままだった」

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 「警察に知らせましょうか?」

 「いや」オール・アンドルソンは言った。「知らせたってどうにもならねぇよ」

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 「さしあたっての問題は、ただ一つ」彼は、壁に向かって話しかけた。「外に出てゆく決心がつかねぇことだけだ。きょうは一日じゅう、ここに閉じこもってたんだ」「町から出てゆくわけにはいかないんですか?」

 「だめなんだ」オール・アンドルソンは言った。「あちこち逃げまわるのがいやになったんだ」

 彼は、じっと壁を見つめていた。)

 ニックは、食堂へ帰って相棒に話す。

 (「ぼくはこの町を出ることにするよ」ニックは言った。

 「そうだね」ジョージは言った。「それがいいだろう」

 「あの男が、いまに殺されると知りながら、じっと部屋で待っているなんて、考えてもたまらないよ。あんまり恐ろしすぎるよ」

 「だが」ジョージは言った。「そんなことあまり考えない方がいいぜ」

 完)

 The Killers ―――――― 大久保康雄訳 三笠書房

4.その他

 田舎の兄は、小説好きだ。彼は、布団に寝て読むのを好んだ。学生の頃、彼の布団には、枕元に2冊、足元に2冊、両脇に各2冊ずつの小説が転がっていた。彼は、まず、1冊をとりあげて読む、飽きると次の一冊をとりあげて読む、それから、枕と頭を動かして、別の1冊を読み始める。日時計のように、彼の頭は1周する。

 私たち家族は、彼の頭の位置で、今、何時か、おおよその見当をつけたものだ。

 生涯を振り返り(彼も60才だ)、①三銃士 ②千夜一夜物語(岩波文庫に全集がある) ③聊斎志異(中国のお化けの話)の3冊が面白かったと述べる。

 ①、②について異存はない。②は、長いから、病気で入院した時に、回復期に読むといいだろう。しかし、我々の世代は、入院すると、たいていお陀仏だから、入院と同時に読み始めるのが時宜に適していよう。

 ③は、兄に言われて、3日前から読みだした。兄が高校生のころ、この本に読みふけっているのは目撃していた。しかし、志異の「異」の字があやしげで、私は、兄が金瓶梅を終わり、別の中国の猥褻本に食指を動かし始めたと思っていた。私は兄を誤解していたのだ。

 面白い本は、まだ、100冊ぐらいある、

 しかし、明日の準備書面が心配なので、ここで終わる。

(平成8年10月記)