弁護士等情報

趣味に生きる ―スキーと釣りと―

PARTⅠ:SKI

 その時、私は45才だった。初老の入り口でとまどい、且つ、人生に倦んでいた。神戸青法協ニュースに「スキー旅行、初心者歓迎」とあり、勇気を出して参加することにした。振り返ってみて、その時、私の人生は大きく変ったのである。
 3年前の冬、志賀高原。私は、生来、運動神経が欠落しており、その年はズッテン、バッタン転倒するばかりで、全然すべるコツがわからなかった。コーチが述懐して曰く、「青法協スキーに参加した初心者は、たくさんいるが、箸にも棒にもかからなかったのは、上原君一人だ」と。そのとおりだった。
 2年前の青法協スキーは、赤倉温泉。私は、皆に迷惑をかけないようにと思って、事前にスキースクールに入ったうえで、参加した。驚いたことに何人かが私のすべりをほめてくれた。自慢にならないが、私は小学校入学以来、人さまにほめられた経験がない。ほめられるとは、かくも、心よく、甘美なものか。私は夢中になった。以後、私は、青協法スキーで「オッー、上達したな」と言われたい、ただその一心で、スキーにのめりこんでしまった。
 たとえば、今年の5月上旬、私は、4泊5日で、奥只見丸山(新潟と会津の境で日本一の豪雪地帯)へ出かけてすべっていた。
 5月末から6月初めにかけては、3泊4日で、山形県の月山(「ガッサン」とよぶ。夏スキーのメッカ。信仰の山。同名の小説がある)で、スキーをやっていた(月山はいいところだ。山全体がゲレンデだ。ビールを飲みながら、雪山を見ているだけで一日飽きない)。
 そして、8月には、10日程かけて、息子と共にニュージーランドへ行ってすべろう。こんな具合である。
スキーの魅力の一つは下手でも楽しめることにある。テニスやゴルフは、上手にならないと楽しめないようだが、スキーは違う。
 又、スキーは、自己の自由意志で、危険に接近することができる。私個人にとっては、これが魅力だ。私は、急斜面やコブをスピードを出してすべることを好む。危険もふえるが、快感も倍加する。赤倉で、私は、あの急峻な丸山ゲレンデを、「生か死か!」と心中に叫んですべりおりようとしたが、気がつくと両スキー板はバラバラになり、私自身も50メートル程滑落して、ようやく身体がとまった。「無謀なことをする」とコーチから叱責されたが(参加した方々は、覚えておられるでしょう)、生きているという実感は、無謀さの中にしか存在しないと私は思う。
 又、2年目に、私は一人で月山へ出かけたが、この時は崖から落ちて気絶した。しかし、無事で今日に至っている。
 いつか、私は、大けがをし、スキーを始めたことを激しく後悔するであろうが(3年前、大阪の弁護士さんは、立山で夏スキーをやっていて、岩をとびそこね、下半身不随になり、今も車イスに乗っている。)、それまでは、今の調子ですべろうと思う。古歌に言う、「生ける間は、楽しくあらな。」

PARTⅡ:FISHING

 私は、海の舟釣りをやる。淡路島の由良(古語で、良い港の意味。そこで、紀州にも、丹後半島にも、同名の地名がある)から、舟を仕立てて出港し、紀淡海峡の中心にある友が島の沖で鯛をつる。釣り方は、はりに、海えびをつけて、流すというウミヒコヤマヒコの時代から変わらぬクラッシックなものである。釣り上げたばかりの鯛はピンクに青が入りまじり「世の中にこんなに美しいものがあろうか」とさえ思う(船頭も、同意見である)。ここ5年程は神戸の野口義國弁護士と同行している。船頭は、名人南弘。由良の旅館で一泊して、翌日釣る。たとえ、前夜、雷鳴が轟き、台風がこようとも、「明日の朝は、晴れるさ」と確信し、我々は、大磯のフェリーが運行されるかぎり、船頭との約束を守り、由良へ必着する。我々は、男の子なのだ。
 前泊も入れると、年に20日程行っている計算になる。
 更に、私は、3年前から、本州最南端の潮岬沖へ1人で鯛、メジロ、ヒラマサ釣りに出掛ける。深更、天王寺発の列車に乗り、翌未明の4時半頃出港して、舟釣りをする。徹夜の疲れと、波のウネリで、胃液を吐きに吐く。吐きつくすと陶酔感が生まれる。つれないことの方が多い。その時は、呆然とした感じにおそわれ、串本駅で何時間か、寝込んでしまうことがある。
 これも年に10日程、行っている勘定だ。

ENDING:もう止まらない

 「そんなに遊んで、仕事は大丈夫か」と聞かれることがある。
 大丈夫ではない。しかし、中年になって遊びを覚えてしまったのだ。もう、止まらない。

(昭和63年7月記)