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最後の同窓会(香川大学附属坂出小学校卒後60年)

 上原です。

 70歳を超えたので、同窓会は、もう終わってしまったんだ、と諦めていました。4月に『緑の風のいい季節になりました。』で始まるお知らせをいただいたとき、驚きました。ふるさとは俺のことを覚えていてくれたのか、と胸が熱くなりました。その晩、ビールを飲んでいると2時間ほどの間に、100人を超える方々の顔が出てきました。荒木聡のお父さん、矢部さんのお父さん、助産婦さんで妹(65歳)を取り上げてくれた矢部さんのおばあさん、綾俊樹のお父さん、お母さん、阿河喜一郎のお母さん、着物を着て出てこられましたね、豊田さんのお母さん、お父さん、中西隆三のお父さん、プレハブ小屋の設計事務所からヤァと出てこられました、これ以上は省略しますが、続々と出てこられてきりがありません。共通しているのは、みな、私の方を向いて、笑っておられたということです。人は、死ぬ瞬間、生涯の出来事を、思い出すといいますが、その晩、私も似た経験をしました。小学時代に限定した出来事ですが。

 私にとっては、神聖な記憶である松本睦子さんの顔と情景も出てきました。
私は、肺結核で1年遅れ、3年生を2度やったのですが、1年下のクラスに入っていった時に、『落第したのか』と何人かの腕白に取り囲まれました、そこへ松本さんがやってきて実力をふるって追い払ってくれました。当時、松本さんは、クラスで一番大きく力があったと思います。また、私のうちは、貧乏でした。雨傘は、教員の父の1本しかありません。兄と私には、開くと、雨がぼたぼた落ちてくるぼろ傘しか与えてくれません。不平を洩らすと、ものすごい勢いで、母に叱られました。放課後、本を読んで雨がやむのを待っていたら、松本さんがクラスに入ってきて、壁に貼っている図画などをみてまわっています、『上原さん、帰らないの。』、『うん。』と答えると、また、図画を見て回って、(見るふりをしていることがわかりました。)やってきて、『上原さん、傘がないので帰らないの。』と聞きますので、『うん。』というと、『待ってて。』と出ていって、小学校の前の松本さんのおうちから大きな唐傘をもってきて貸してくれ、それをさして、家に帰りました。松本さんのおうちは、かさやさんでした。

 松本さんが亡くなってから30年ほどたつと思います。その間、坂出で何度か小学校、中学校、高校の同窓会があったと思います。私は、毎回出席しましたが、その都度、小学校の前の松本さんのお家を見に行くのですが、何時も閉まっていました。つい先日、俺は、何をしに行っていたのだろうな、とぼんやり考えていて、気がつきました。私は、松本さんを探しに行っていたのです。これを30年続けていたのです。

 その時わかったのですが、私たちが生きている限り、亡くなった人たちも私たちと共に生き続けるということです。そうなると、これからは、リレー競走だな、一人が倒れても、バトンを受け取ったと思って、長生き競争をするんだ、生きることそのものに意義がある。
お集まりのみなさんの一人でも生きている限り、私たちも生き続けます。

 皆さんのお顔を拝見して嬉しく思います。

(平成24年11月記)